花子さんが見てるし連れてくる:映画『学校の怪談』

noteに書いたやつの再掲。

 

 皆さんの学校には花子さん、いました? 私の小学校にはいました。6年生のときに同じ1組だった山村花子さん(苗字は仮名)。普段はあんまり話す機会はなかったのですが、なんかの拍子に口げんかになって、怒った花子さんにお気に入りのバトエンバトルえんぴつ)を折られた覚えがあります。

 

 今思うと、缶ペンの中の数あるバトエンコレクションの中から、りゅうおうのキングバトエン(HP200。バトルマークはレアの「▲」)を迷うことなくチョイスしてへし折ってきたあたり、花子さんはなかなかの慧眼だったと思います。黙っていただけで、彼女も名うてのモンスターマスターだったのかもしれません。しかもバトエンは学校持ち込み禁止(けどなぜか男女問わず流行っていて、休み時間には闇バトルが体育館2階のカーテン裏で行われていた)だから先生にチクれないし、りゅうおうは兄のおさがりでバレたら怒られるしで、折られた後に追いうちでしょんぼりさせる特殊効果つき。怒らせてごめん。

 

 さて、このところ卒論のために「学校の怪談」や「トイレの花子さん」と銘打った作品を本、映画、ドラマ、アニメ、ゲームと片端から見ているのですが、1人で見ていてもつまんないしモチベーションも下がっていくので、見た作品をまとめていきます。今日は『学校の怪談』を観ました。以下、いまさらだけどネタバレあり。

学校の怪談

学校の怪談

 

 学校の怪談』……噂の旧校舎を脱出せよ! 青春ホラーて感じ

平山秀幸監督、奥寺佐渡子脚本。1995年公開、東宝配給。

 

 

 80年代後半から90年代にかけてちびっ子の間に空前の学校の怪談ブームを巻き起こした、講談社KK文庫『学校の怪談』(青緑色の表紙のやつ)と、ポプラ社学校の怪談シリーズ』が原作。終業式の日、それぞれ別の理由で旧校舎に入り込み閉じ込められた子どもたちが、お化け屋敷感覚で次々と登場する怪異に翻弄されながらも、なんとか脱出を目指すお話。ホラーとしての怖さはあくまで子ども向けですが、ノスタルジー、探検、困難を乗り越えるうちに芽生える友情・恋、そして切ない別れと、ジュブナイルな展開の王道を行っていて大人が観ても楽しいです。99年までに『学校の怪談4』とシリーズが続く。アマゾンでレンタル中。400円。

 

 以下、観ていて思ったことをこじつけていきます。

 

花子さんで始まり、花子さんで終わる
 この映画で花子さんが現れる場面は4回。具体的には「映画の始まりと終わり」と「旧校舎に閉じ込められる5人の内、最初と最後の人の目の前」にだけ登場する。

 

 旧校舎からの脱出劇、という物語のメインの部分には一切登場せず、映画と事件のはじめと終わりに印象的に登場するせいか、ネット上の感想では「花子さんはラスボスなんだと思ってた」というものがちらほら。他の怪異がハニ太郎の封印から解き放たれる描写があるのに対し、花子さんだけは封印が解かれる前も後も、超然としてひとり旧校舎を歩いているので、確かに怪異の中でも異質な性格であることが示されている。

 

 ではどうして花子さんは話の最初と最後に現れて、旧校舎脱出劇という山場に登場しないのか? これについてはまた後で詳しく。

 

 結論を先にいうと、花子さんが旧校舎の脱出劇の最中一切画面に登場しないのは、そもそも私たちが見ている映像自体が、実は「花子さんの見ている光景だから」。だから、画面に映りえないんだということです。私たちは花子さんの視点で、子どもたちの脱出劇を観ていた、という話(だと勝手に妄想しました)。

 

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▲旧校舎をさまよう花子さん。2や3でもこの背中だけ見せる演出は踏襲される(4ではそもそも出てこない)。

 

 花子さんのビジュアルは、赤いワンピースでウェーブがかった肩までの髪、裸足。現在の典型となっているような「トイレの花子さん」像ではない。後ろ姿しか見えなくて、登場するときは笑い声と、さらさらと鈴の音がする。この鈴の音は、水の音をイメージしての演出だと思う。

 

鈴の音;花子さんは水とともにある
 花子さんて、「トイレの」花子さんなのに、映像作品だとやたらとトイレ以外に出没しすぎだと思いません? 持ち場を離れすぎじゃない? こないだ鬼太郎で見たときはタオル巻いて妖怪温泉の混浴に入ってましたよ。


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▲ヨースケくんから逃げてきた花子さん。6期鬼太郎第10話より。拾い画像。

 

 この映画の1年前、1994年からポンキッキーズで放送されていた『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』の花子さんも、トイレにいたことあったっけ? って感じだし。2010年に出た「新・花子さんがきた‼」だと花子さんは森の中のめっちゃいい洋風一軒家に住んでる。ホワホワちゃんと。薄型テレビ付き。トイレは?

 

 話を映画に戻しましょう。この映画でも、花子さんはトイレ以外に姿を現します。映画の最初と最後には旧校舎の廊下にいるし、ゲロ兄(双子の弟が教室でゲロ吐いたせいでそう呼ばれてる、いつも敬語のいいキャラしてる子)が旧校舎にいざなわれたときは、階段の踊り場をダッシュしていた。

 

 唯一、ミカ(小2。旧校舎で行方不明になる。この子を姉のアキが探しに行くことで物語が動き出す)が花子さんの噂を試してみて、天井の方に吸い込まれて姿を消す場所がトイレだったけど、このシーンでは肝心の花子さんの姿は映らない。笑い声がするだけ。

 

 この時、ミカは気づいていないけど、洗面所の蛇口から勝手に水が流れ出すと同時に鈴の音がして、水が止まると鈴の音も止む。このシーンでは、実際の水の音はせずに、鈴の音しかしない。この映画の中では鈴の音イコール水の音ってことなんだろうか。そのまま水の音を流した方がリアルで怖い気がするのにね。で、花子さんが廊下にいるときや踊り場にいるときも、ミカの姉のアキがトイレを覗いたときも、やっぱりこの鈴の音がしている。

 

 この演出の意図は、映画の都合上あっちこっちに花子さんを出歩かせたとしても、それがあくまで「トイレの」花子さんであることを、トイレの場面で印象的だった、この鈴の音で効果的に示すためなんだと思う。2000年代前後では、花子さんに「おかっぱ・白ブラウス・赤い吊スカート」という記号が与えられるので、花子さんをどこに出没させても「ああ、(トイレの)花子さんなんだな」と視覚的にそれが花子さんであることを、観てる側にわかってもらえるのですが、それ以前だと、造形上の典型を持たない花子さんを「これはトイレの花子さんなんですよ」って示すための試行錯誤が、各々の作品で見られて面白い。まあ元ネタの怪談が、「トイレでノックすると返事する」という「声」だけの存在なんだから、そりゃビジュアル化するときに困っちゃいますよね。


 本作ではこうして、花子さんとトイレとを、鈴の音という記号を利用して、なんとかイメージの上で繋ぎ止めようとする姿勢が感じられて大変グッド。トイレのシーンで、ほんものの水の音をさせなかったのは、トイレ以外の登場シーンで鳴らしても不自然にならないようにでしょう。廊下とか踊り場の登場シーンで水の音をさせちゃうと、直接的過ぎて「え? どっかで水もれてんの?」てなるけど、鈴の音ならそうはならずにトイレのことだけを想起させられる。うまい。

 

 ちなみにこの映画、ラストはでかい穴に飛び込んだら、その先が水を貼ったプールの中に繋がっていて、どぼんと落ちて旧校舎から脱出成功、ハッピーエンドってなるんですけど、このプールのシーンだけ、うるさいくらい「鈴虫」がリンリン鳴いてる。直後の、同じ時間帯の旧校舎前のシーンではそんなことはないので、ここでも意図的に水と鈴の関係が示されている……とかいうのは妄想が過ぎるかな。


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▲旧校舎の出口は、学校のプールの水中につながっていた。

 

95年、花子さんは天井からやって来る
 なんか鈴の音について書きすぎました。最初の方に書いた、「この映画は花子さんの見ている光景である」という珍説に話を持っていきましょう。


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▲ミカが旧校舎のトイレに興味本位で入るシーン(なぜかここだけいっぱいスクリーンショット撮ってあった)。小便器が見えるので、男子トイレか男女共用トイレの模様。学校のといれが共用なのなんていつの時代なんだろう。今度調べよっと。

 珍説とはいいましたが、花子さんのまなざしと、私たち画面に向かう鑑賞者の見ている映像とが明らかに一致しているといえるシーンが一か所あります。ミカがトイレで襲われるシーンがそれ。以下がその概要。


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▲何かと目が合う瞬間。観ていて息を飲む。

 

 トイレの個室をミカが開けて見回すも、誰もいない。なーんだみたいな顔をしてミカが出ていこうとする。画面はそれを、手ブレありでトイレの個室側ほぼ天井に近い位置からカットなしでゆっくり追いかけていく。ふとこっちをミカが見上げてカメラ目線になったところで鈴の音と笑い声。見上げてカメラ目線のまま、何かと目があったようにしてほほ笑むミカが映って次のカット(個人的にここのミカの気の触れたような笑顔が、映画の中で一番こわい。迫真の小2)。ミカの足元を映した画面になり、一瞬で足が宙に浮いて次のカット、蛇口の水がひとりでに止まる画(鈴の音も止まる)。


 言葉で説明するとあれですが、実際にこのシーンを観れば、私たちが観ている、天井からの視点でミカを追っかけている映像が、そのまま花子さんが覗き込んでいる視線と一緒なんだというのは納得できると思います。まあ脅かす側の視点で見せるのはホラーでよくある演出ですし、別に奇をてらったものじゃない。ここで言いたいのは、とりあえず私たち鑑賞者と、花子さんの目線が明らかに一致していると言えるシーンがあるよ! ということだけ。ちなみに、今回は深入りしないけど、花子さんはこの映画みたいに、便器の方にいると思いきや意外と天井にいがち。スーファミ・初代プレステの『学校であった怖い話』(1995、1996)とかそう。どうやら天井にひっついてるタイプの花子さんが95年ころには一定数いた模様。

 

6番目の花子
 次に、子どもたちの会話やしぐさから、「彼らが、だれかもう1人と一緒にいる」ということを示唆している場面を見てみましょう。旧校舎をばらばらに探索をしていたメインの5人が、はじめて一堂に会すシーン。ここで、ちょっとへんなやりとりがある。次の通り。

 

 5人が揃い、立ち話。ひとまず出口を探そうということになる。他のメンバーが歩きだしたところでアキが立ち止まり、やたらきょろきょろして足止めをする。
アキ「全員いるよね?」
ショウタ「いるだろ」
アキ「誰も置いてきてないよね」
ケンスケ「妹はこの際置いとけ(※アキの妹ミカのこと。旧校舎にいる間、ミカはほとんど行方不明のまま)。まず外に出て、誰か呼んでくるんだよ」
カオリ「5人で全部じゃないの?」
アキそうじゃなくて、なんか1人多い気がして


 このやりとり、5人のうちの1人が実は幽霊だった、という終盤に暴かれる事実の伏線、あるいは直後にテケテケが出てくることの伏線ともとれそうなのですが、唐突なうえにやけに間をとるし、長回しだしアキの言っていることの意味が読み取りづらい。誰かが不足していると言いたいのかと思いきやそうではないらしく、5人で全員ではないのかという質問に対しての「そうじゃなくて」という返答も、どういう意味なのかはっきりしない。
 幽霊オチ、つまり「いないはずのやつがしれっと混じっている」という状況の伏線だとしたら、そこにいるメンバーの顔をよく見まわしそうなもんだけど、アキは周りの空間の方をきょろきょろするばかり。


 テケテケの伏線の場合は「1人多い」と言わず「なんかいる気がする」とか言わせれば十分(ミスリードを誘ってるのかもしれないけど)だし、そもそも他の怪異と同レベルのテケテケの登場を、直前で匂わせる必要性がない。つまり、ここではアキの言う通りほんとうに「1人多い」のではないでしょうか。そしてそれは誰かというと、他ならぬ花子さんなのではないでしょうか。じゃあ一体どこに花子さんが?


私の名は花子さん
 このシーンの画面はどうなっているかというと、ミカの時と同じく手持ちかつ妙な長回しで、こんどは子どもたちと同じくらいのアイレベル。画面の隅々を見渡しても1人多いその「1人」が見つからないのならば、ミカ行方不明のシーンと同じく、「彼らを映しているこの画面自体」が、そのもう「1人」、すなわち花子さんなのではないでしょうか。


 ということは、私たちはここで花子さんの視点で、彼らの脱出劇を覗いているわけです。となると、私たちは単なる鑑賞者、第4の壁(お文学徒の大好きな演劇用語。というかお文学徒はこれ以外の演劇用語を知らない。詳しくはググって)の向こう側の存在としてではなく「花子さん」として、5人と一緒に旧校舎をめぐっているのではないでしょうか。そうなんです、私たちは花子さんなんです。花子さんが冒頭と終盤に登場する際、画面の方を向かず、私たちに背を向けている=私たちと同じ方向を見続けて消えるという演出も、私たちが花子さんと視線を共有していることの示唆なのではないでしょうか。

 

 以下、よくわかんないもの。メモ。小ネタ。

 

花子さんはミカさん?

 だいぶ飽きてきました。この映画、初めに旧校舎で花子さんに連れていかれて行方不明になったミカは、脱出劇のかなり終盤で、旧校舎内のなんか綿のつまったガラスケース(標本用?)の中で気を失っている状態で発見されます。そこで救出された時点で目覚めてもよさそうなもんですが、彼女は旧校舎を脱出するまで一切目覚めません。ずっと、あとから生徒と合流した小向先生に担がれっぱなし。じゃあ気を失っている間、また何かハプニングに巻き込まれるのかというと、特にそんなこともなく。ようやく意識が戻るのは、校舎から脱出して、プールサイドに出たとき。つまりミカは、花子さんに襲われてから「完全に」旧校舎を出るまで、いるけど見つからない、いたけど意識がないという、存在と不在のあわいを漂うことになります。
 また花子さんは、旧校舎の中にしか現れない、ということが、終業式後の学級会前に子どもたちが花子さんの噂をする場面で語られます。また新校舎の教室に赤い手形があり、花子さんのものだ! と騒がれますが、結局それはにせものでした。つまり、花子さんは旧校舎の中にしかいないということがはっきり示されるのです。というわけで、花子さんはミカを行方不明にしてみんなを旧校舎におびきよせ、欠けている6人目(ミカの代わり)としてみんなと冒険をしていたのではないでしょうか。実際、ゲロ兄が踊り場をダッシュする花子さんを目撃した際、ゲロ兄は花子さんをミカと勘違いします。このようにミカと花子さんはぱたんと交代するようにして、映画に登場・退場しています。まあそれだけの話なんでミカ=花子さんとまではさすがに言いません。

 

小向先生の謎のセリフ
 生徒からの、幽霊を信じるかという質問に対しての小向先生のよくわかんない回答:「あんまり幽霊幽霊って大騒ぎするな。知ってるか? オーストラリアのコアラなあ、みんなが寄ってたかって可愛い可愛いっておもちゃにするもんだから、ストレスで死んじゃうんだぞ?」
生徒「なんかよくわかんない」
 単に小向先生がちょっとズレてることを示すセリフ? コアラは、寄ってたかるとストレスで死ぬ。じゃあ幽霊は大騒ぎするとどうなるってことを言いたいの? 

 

 

アキの英文字プリントTシャツ
「seashore pool ass't manager(海岸プール アシスタントマネージャー)」旧校舎からの脱出口がプールなのと何か意味があるかなっと思ったけどたぶんない。あったら面白い。アキだけやたらこの英文字プリントが目立って作中ちょっと気になる。

 


おまけ:知恵袋クソリプ合戦

学校の怪談のメリーさんてスイカでしたよね?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp



知恵袋に行くのめんどくさい人用:

※この映画のアバンタイトルでは、舞台となる小学校で、数年前にメリーさんから電話を受けた先生が、宙に浮くスイカ(メリーさん)に血を抜き取られて死んだ、というへんな怪談が語られる。

質問者:
学校の怪談のメリーさんてスイカでしたよね?
当時、映画館で見た時は、ギャー出たー!って感じでしたが、なんでスイカ
考えた人、斬新ですよね。
当時は今ほどハロウィンを楽しむ習慣なんてなかったですから、ハロウィンに出てくるようなカボチャのあの顔をスイカでくり抜いて笹野さんにバーーーン!ですもんね。

 

ベストアンサー:
西瓜の提灯は昔からありましたね。
江戸時代は、「由井正雪の首」などと言われていたこともあるようです。


 こう、無害なばかと、ばか(何らかの知識がちょっとあるばっかりに、関係ないとこでもそれを振り回す面倒くさいひとのこと)の邂逅って感じですごくいいですよね。知恵袋的。

 以上! 『学校の怪談』についてでした。お文学徒はこのようにして映画に登場するものを意味ありげに邪推します。次は新しい映画でも観てみようかな。というわけで次回予告!!

 

 トイレの花子さん新章 花子VSヨースケ』

 

あらすじ:

 除霊師見習いの雫音(志田友美)は、師匠の美代(竹内えり)と修行の旅に出ていた。ある日、ふざけて廃校に忍び込んだロックバンドメンバーのミカ(多田愛佳)やジョー(淳士)らが肝試しをしていたところ、一緒に参加していたや友人の亜紀(横山ルリカ)が命を落としてしまう。事態に怖じ気付きお祓いにやって来た彼らの話から邪悪な霊の存在を感じ取った雫音は除霊のために廃校へと向かうーー。(C) 2016 劇場版 『トイレの花子さん新章 ~花子VSヨースケ~』製作委員会(アマゾンの商品説明より)

 6行にわたるあらすじでしたが、とりあえず除霊師見習いその師匠、そしてふざけて廃校に忍び込むロックバンドメンバーが登場するのがわかりましたね!! 果たして廃校に潜む「邪悪な霊」とは……? 全く想像がつきません! 

現在3レビュー、☆3/5(うち☆1つ1人、☆5つ1人)。アマゾンで400円で好評レンタル中! ※まだ観てない。